日々

生活とその周辺

12月

12月の実習中は臨床倫理の教室にお邪魔して、担当の先生とお話をしていた。常々、私は倫理観のない人間だと思っていたのだけれど、欠けているのは道徳心で倫理観はこの実習を通して少し枠組みをとらえることができたのではないかと期待している。それからケーススタディをいくつかして、人間の意思決定ってすごく難しいことが今さら実感させられた。ちょっとしたヒントとして、大竹文雄『医療現場の行動経済学:すれ違う医者と患者』、國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読んだ。ナッジという手法で私たちの意志は操作することが流行りらしい。國分さんの本は、中動態という態をめぐる冒険に連れ出してくれて大変興味深かく、スピノザの章になると嬉しそうな文体になってにっこりしてしまった。あと、福井次矢『臨床倫理学入門』、トニー・ホープ『医療倫理』もざっくりと臨床倫理のトピック、論点、考え方が分かり参考になった。

 

月の後半はクリスマスと年末に向かう、ふわふわした雰囲気の中、トルストイアンナ・カレーニナ』を読んで過ごした。最近よく一緒にいる人は、みてるみてないにかかわらずテレビが大抵ついている人で、私は人と一緒にいてもテレビがついていても、ふてぶてしく読書をしているのだけれど、あるテレビドラマの中の女の子がクリスマスイブを恋人(?)と一緒に過ごしたいって言っている横で、オブロンスキイは不倫(婚外恋愛)で妻になじられ、アンナはウロンスキイと恋に落ちアンナの夫は嫉妬し…みたいな泥沼が繰り広げられており、ギャップが面白かった。

 

ロシア文学と言えばドストエフスキーという思い入れがあって、トルストイを手に取る機会があんまりなかったのだけれど、先日の上智大学ヨーロッパ研のオンライン講演会で「アンナ・カレーニナを読んだことのない人は、これからはじめて読む楽しみが残っているわけだから幸せだ」と先生がおっしゃっていて、俄然読みたくなり、まんまとはまってしまった。トルストイは当初、不倫(婚外恋愛)をする女なんてとんでもない醜悪な女だと想定して書き始めたものの、結局めちゃくちゃ魅力的な女性に仕上がってしまったというエピソードがとても興味深くないですか。あと、最初の「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」という一文がかなり有名なだけに、まってましたー!感でスタートできるのが良い。他に好きな最初の一文は、『風と共に去りぬ』の"Scarlet O'Hara was not beautiful"ですが、みんなのグッとくる最初の一文はなんなのだろう。気になる。

 

スペシャルか何かだった長大な音楽番組が流れていたとき、一緒にみていた人は放送される曲ごとにその曲にどういう思い出があって人生のどの時期にきいていたかを熱心に話しており、さして共感できず、私の10代、20代の前半の生活にJ-POPはあまり関わってこなかったことが身につまされた。先輩が営業していたバーでよくきいた(中島みゆき)とか、よく遊びに行ってた古着屋できいた曲(ジュディマリ)とかが断片的に転がっているぐらい。家族はクラシック、高校生の頃はつんつんしながら90年代の洋楽ロック。大学に入ってから仲の良かった友人たちやかつての恋人たちは、全く音楽を聴かないか、テクノ、エレクトロ、ジャズ、ロシアバレエ音楽などで、演奏を聴きに行った帰りに鴨川を自転車で駆け抜けながら耳に残っていた曲とか、親密な影が落ちていた昼下がりに二人で黙って聴いていた曲とか、思い出のワンシーンはゴールデンタイムのテレビから流れる曲とともに浮かび上がってこないので、だいぶ偏っているみたいだね。紅白に舐達磨とかkraftwerk出てくれると最高なんだけど。

 

年内の臨床実習終わった後、妹が収穫仕事の帰りに恋人と遊びにきて、みかんを大量にもらった。普通のみかん+紅まどんな(!)をたくさんくれて、皮をむきすぎて爪が黄色くなった。二人のためのランチとしてバターチキンカレーとひよこ豆のカレーをつくり米を3合炊いたものの、全部食べつくされ、肉体労働している人たちのエネルギーに圧倒された。妹の恋人は春のクマみたいに優しそうな人でした。帰り際に私の家の天井に張り付いていた蜘蛛の死骸を手づかみでとってくれた。天井に手がつくぐらい背が高いことと、なんでもないように蜘蛛を触ることにびっくりした。