日々

生活とその周辺

南米(ボリビア)

ちょっとペルーのことも。ボリビア滞在中は高山病に苦しむ。

 

 飛行機にのってボリビアの首都ラパスへ。標高は4000m越え。いいかげんにしてほしい。ボリビアは6000m級のアンデスの山々に囲まれているため、4000mは序の口なのだろうが平地で安穏と暮らしてきた人間としては過酷すぎる環境だった。 

 ラパスの街の形状はすり鉢型という特徴的なつくりになっている。谷底に向かって都市が発展しているイメージ。上から下へロープウェイにのって降りていく。ガイドさんが途中険しく突き出た岩々とそこに挟まっている車(おそらく当時運転していた人間が中にいる)を指さし、安全な作業場を確保できなくて何年かかっても救出できてないんだよね~と解説してくれた。怖すぎる。初めてみるラパスの光景は曇天、砂、汚れで彩度が極端に低くぼやけていた。日本であれば3月のこの時期、そろそろ新芽などがみえるころだというのに、全く色調が見当たらない。ロープウェイから降り立った土地は雑草も落ち葉もなく、枯れた低木が申し訳程度に飾られているだけ。このままこの都市はゆるやかに砂に飲み込まれていくのではないかという感じがする。阿部公房「砂の女」みたい。あれも砂の斜面の物語だしね。

 ガイドさんに「カバンをしっかり前にもって!」「話しかけられても絶対に無視!」と散々脅されながら、ハエン通りや街中をブラブラする。全体的にくすんだ街並みの中に、原色に近い果物、グラフィック、女性の伝統衣装が映えていた。ムリーリョ広場、大聖堂などを観光する。車で街中を移動する際に、渋滞というか―車同士をこすりつけあいクラクションを盛大に鳴らしたり罵声を飛ばしたりして自分の進みたい方向へ道を切り開くドライバーたちの―カオス空間に巻き込まれた。信号や道路の標識・白線はない。あったとしてもみんな守らないからいらないそう。ベトナムカンボジアなど東南アジア地域でも同様のことがあり、環境としては最悪だけれどノスタルジーを感じた。街中ではデモが起きており、郵便局が封鎖され、銃殺される人間も多いらしく治安はいまいち。再び空港へ向かいウユニ塩湖へ。

 コルチャニ村にて塩づくりの見学をしたり(塩で作られたアルパカを買ってしまった。アルパカは罪)、ホテルにチェックインしたりする。ラパスに引き続きウユニ塩湖は約3700mの高地にあり、高山病による慢性的な頭痛を感じてこのころからアスピリンを過剰摂取しはじめる。ウユニ塩湖に踏み入れるためには4WDが必須、つまりツアーに必ず登録しなければならないので、怪しげな業者や酩酊した運転手がいそうなところは避けて、値段もみつつ検討してください。

 ウユニ塩湖は琵琶湖の約18倍の面積だそうで、数字からはなかなか想像できないかもしれないけれど、360度すべての地平線に湖が広がっている様子を思い描いてほしい。訪問したのはちょうど雨季だったため、塩湖にたまっている水がかなり多い状態だった。いわゆる空と湖の境界線がなくなる(反転された)インスタ写真をとることができる時期としてはベストシーズンで、私たち以外にも写真撮影にいそしむ日本人をよく見かけた。一方、同行した欧米人のように地面に真っ白な砂が形成されている風景の方が好きという人もいた。湖は広大なので雨季とはいえ実際にそういう場所もあり、さらに温泉がわいているところもあって、煙の中を通ったりして遊んだ。少しホテルで休んだのちウユニ塩湖の夕陽観光へ出発し、すごく甘いワインで他のツアー参加者と乾杯する。頭が痛いのでお酒は楽しめず、星空観光に挑戦するも雲の厚さと寒さで断念したことが心残り。アスピリンを飲んで就寝。

 夜明け前にアスピリンを飲みホテルを出発。朝陽観光へ。空はまだ暗く、運よく星が見える状態で南十字星を観察できた。しばらくすると日が昇りはじめ、周辺に光を遮るものがなく一切影のできない日の出をはじめて鑑賞した。ガイドさんに促されるまま、遠近法などを駆使し何度もトリック写真や動画を撮影する。撮影大会が終了するとリャマと塩の博物館へ向かい、リャマの可愛さに心を打たれる。なんにも考えてなさそうなまん丸の黒目がいいよね。次に向かった先は列車の墓場という列車が打ち捨てられた場所で、日本の会社がウェディングフォトをとっていた。まっさらなウェディングドレスの白さと、さび付いた列車の退廃感がよいコントラストだった。ウェディングフォトとしてよいのかは不明。

 最終日は頭の痛さで目覚めながら、時間通り空港へ向かった。しかし、恐れていた事態、南米旅行あるある、飛行機の大幅な遅延にあってしまった。3時間ぐらい空港で待ち、クスコ(ペルー)へ戻る。さらに乗り継いでリマ(ペルー)へ。書いていてしんどくなってしまう。夕方に近づいていたものの、もうしばらく来ることはないかもしれないと無理をしてスペイン植民地時代の雰囲気が残る市内の観光やアルマス広場、ラファエル・ラルコ・エルラ博物館へ弾丸ででかける。ガイドさんありがとう。ラファエル・ラルコ・エルラ博物館は民俗学が好きな人には、タペストリーや土器などたくさん置いてあり一番お勧めしたい場所だった。あと下ネタが好きな人。かつて文字を持たない文化圏では子どもたちへの性教育を埴輪(土偶?)を使って説明していたそうなので、それらの作品をたくさんみることができる。博物館にしぶしぶ連れてこられたらしき思春期の男の子たちはそのコーナーだけ、はしゃいでました。

 ホテルに到着した時はほとほと疲れ果てていた。しかしリマは標高が低くようやくアスピリン地獄から解放され、歩いても頭痛がしない恩恵をかみしめることができた。翌日はホルヘチャベス国際空港からLAへ。乗客の話によると南米旅行ついでにLAのディズニーに行く人もいるみたい。元気だ。隣に座った82歳の女性(お世辞抜きで60歳にしか見えない)はブラジルでヨガの講師をしている日系人で、四国に住む、かつてホームステイで受け入れていた女の子に会いに行く途中だった。今学校が休みで旅行中で~という話を彼女になんとなくすると、「ブラジルの学生は自分で学費を全部稼いで在学中も働きながら勉強するのに、日本の学生はお遊び気分で甘やかされているね」という強烈な発現を繰り出され対応に困ってしまった。私は人よりも長いことぷらぷらしている身であるうえ、本当におっしゃる通り!としか思えないのだけれど、「まあ教育制度や理念もきっと違いますからねえ」という曖昧な答えを返して機内食を食べることに専念した。

 南米にはまた行きたいが、次は1か月ぐらいの猶予をもってというのが私と母の共通見解でした。普段日本に住んでいると距離感が分からなくなってしまうけれど、南米大陸はあまりにも広大だった。あと一人旅するならスペイン語話せた方が楽しい。卒業旅行では日本と全く違う人種、文化、色彩、自然を楽しませてくれる南米をもっと経験したいと願ってはいるがはたして…。

 

 

ところで阿部公房「砂の女」について。「砂(≒生活※私見)」や「監禁されること」などこの作品がコロナ禍でよりアクチュアルな問いかけになったと思うのですが、どうでしょうか。