日々

生活とその周辺

南米(ペルー)

いつかの春休みにペルーとボリビアに行ってきた。「マチュピチュ遺跡とウユニ塩湖みたーい、一緒に行こ~」という母親からの誘いで旅行が決まった。金銭的スポンサーも彼女です。ありがたや。ちなみに私の家は父親と母親がそれぞれ別の食器用洗剤使ってるぐらい仲が良くないので、父親は猫とお留守番でした。

 

地元の空港からロサンゼルスまで飛行する。至れり尽くせりANAで、恐縮するぐらいおもてなししてもらい、はるか彼方にある見知らぬ目的地に行くのが億劫になり、心底日本から離れがたく思った。ところで、航空会社の話なのだけれど、ユナイテッドが最悪なのは異論がないとして、個人的にはフィンエアー推しです。あのこざっぱりしたサービスと機内のデザイン性がとても好きだ。日本のサービスはちょっと過剰じゃないですか?そんなことをぼんやり考えてたり映画をみたりしていると、日本との時差17時間のロサンゼルスに到着した。頑張れ私の松果体。乗継便まで3時間ぐらいしかなく、魔のロサンゼルス空港で魔のアメリカ入国手続きを終え(イミグレーションめっちゃ厳しい)、急いで搭乗口に向かう。テロがあってから警戒が強まっているみたい。そして日付変更線と赤道をこえにこえ、ようやくペルーの首都リマにつく。日本→リマ、約24時間。さすがに腰とおしりがバキバキに痛くて満身創痍でゲートを出てきたところで、「良く寝れた~、機内食豪華だったよ~」というビジネスクラス組の母と合流した。はやく医者になりたい。空港近くのホテルに泊まり、ピスコサワーという、ピスコ、ライムジュース、シロップ、卵白で作ったウェルカムドリンクをいただく。度数が高すぎてすぐに就寝。

 

ホテルを出発し、クスコ行きの飛行機にのる。ちなみにこの旅では14回ぐらい飛行機にのったので、延々と飛行機に乗るフレーズがでてきます。クスコの標高は3400m!ようこそ高山病。なるべくゆっくり動き、酸素を無駄に消費しないようにする。予約していた現地ガイドさんと無事会え、市内観光を開始。無意識に観光スポット目指して駆け足になったり、なんならいつものペースで歩こうとすると、ガイドさんから注意を受けるので、幼稚園児に戻った気分だった。サントドミンゴ教会、コリカンチャへ。カトリックっぽい重厚さなデザインながら、土の色をしていて南米らしさもあり面白い。アルマス広場ではランチにキヌアスープ、ロモサルード、バナナケーキを注文した。基本的にペルーで口にしたものはすべておいしいおいしいの連続で、私の旅のメモも、食べた料理であふれている。のちに食べ過ぎでお腹を壊す。様々な文化が融合しているうえに、国土はアンデス山脈から太平洋沿岸まで広がっているため、食材も品目も多彩でまずいわけがない。午後からは旧市街を散策しながら、大聖堂や12角の石を見学する。石を積み重ねるすごい技術。なんとなく大阪城の城壁を連想する。アンデスの山々に囲まれた風景を心にとめて、ウルバンバへ。ウルバンバはマチュピチュ近辺の地域。いよいよ天空の都市に近づいているぞと気持ちは高まるばかり。とりあえず夜になったので、川の音がよく聞こえるホテルで休む。

 

マチュピチュに行く日。ガイドさんに谷間のオリャンタイタンボ村に寄り道してもらったりしながら、青い車体が美しい展望列車に乗車。乗車中は合法的にコカ茶をたしなむ。日本に帰ったら飲めないので、コカ茶は高山病対策ということもあり滞在中がぶ飲みした。最初は苦みにびっくりするけれど、徐々に病みつきになる(依存症のはじまり?)。車窓からうつる景色は岩と低木ばかりで、ペルーの厳しい気候条件を垣間見た。マチュピチュ遺跡は、テレビ番組とかでご存知だとは思うけど、よくぞこんなところに都市を建てたなというところにあった。そらしばらくは見つからんわ。とはいうものの、欧米人が「発見」するまでは、地元の人はこの建造物の存在を認知しており、電車の線路もコカを運ぶための通路として昔から利用されていたとか。それだったら隠しておきたいよね。

 

ホテルに荷物を預けたし、さあ遺跡探索だとなったところで私のお腹が猛然と不調を訴えだした。「さっきまであんなにたくさん食べてたのに」と心配する母とガイドさんに置いていかれて、ホテルのベッドの上で外の楽しそうな観光客の声をききながらその日は終わった。私のマチュピチュ…。高地に入って消化管運動が減弱しているのに、食べすぎたみたい。でも体重はこれでプラスマイナスゼロ。

 

翌日になってもマチュピチュは諦められなかったので、早朝からハイキングに行くという強すぎる母を送り出し昼前から一人遺跡へ向かう。頼むから不機嫌になるなよ…とお腹に念じホテルのある村からバスでさらに上にあがる。そして!最初のきつい登りを我慢した後に!念願の!マチュピチュ遺跡!世界史資料集でみたやつ!尊い!少し霧がかかっていたけれど、展望台から浮かれてセルフィ―などしてしまった。それからは聖なる門、太陽神殿、石切り場、コンドル神殿などなど大興奮の連続だった。古代信仰とかが大好きなので、神殿の説明で「どのような儀式のためにに建造されたのかは正確にはわからないが」という文言があるといちいち強烈に惹かれてしまう。都市を形成していたので当たり前だけど、石で構成される遺跡は非常に大きく、内部を見学するのにはなかなか時間がかかった。まだマチュピチュ遺跡の想像がつかないよという人はラピュタの天空の城を思い浮かべてください。大体あんなもん。ふと高台から下の遺跡を見下ろすと、普通にまっ白なリャマがぽつぽつと群れを作って草を食んでおり、植物の緑と良いコントラストを作っていた。リャマってなんでこんなにかわいいんだろうか。

 

さて相変わらず元気いっぱいの母と無事合流した。マチュピチュ遺跡から麓の街までの帰り道、電車を待つ間、ケーナアンデスの笛)奏者の、観光客向けの演奏「コンドルは飛んでいく」を聴くとはなしに聴いていた。わたしは小学生かその辺りの年代に初めて聴いたときから、いつもこの歌に物寂しさを感じる。地平線がどこまでも広がるカサカサの大地と、ところどころに生える低草木やサボテン。土にまみれた家。暗い目をした褐色の肌の人々。改めてペルーで聴きなおすと、ペルーという土地の物寂しさをこの歌は内包しているように思う。

 

ボリビア編に続く。