日々

生活とその周辺

イタリア

サルデーニャ島のその後のお話。

 

ローマ→アッシジペルージャフィレンツェボローニャラヴェンナヴェネツィア→ローマ

という順序で、メジャーな都市を3週間欲張り旅をしてきた。まず発着の拠点ローマだけど、本当に石畳の道がひどくて、車のマナーも最悪で、自分を含めた観光客にあふれていて、暑くて、カモろうとする人々も集まっていて、早く移動したくて仕方のない街だった。しかし、安宿が多く、世界史の資料集を手にした頃から夢に見てきた絵画や遺跡がたくさんあり、結果的にだらだらと居座ってしまった。

 

ローマにはヴァチカン市国、聖ピエトロ大聖堂、スペイン広場等々観光の聖地がたくさんあり、とりあえずその辺はうろついてみた。かの有名なトレビの泉は人でごった返しすぎて前を通過しただけに終わった。聖ピエトロ大聖堂は、権力!豪奢!とびっくりマークが私の頭上をたくさん飛び交い、さすが総本山という威厳があった。残念だったのは、目的のピエタ像が一般見学者の入場範囲から離れた場所に置かれており、そばでミケランジェロの彫刻を楽しめなかった。礼拝しにくるカトリック教徒の特権らしい。改宗したくなっちゃうね。大本命のヴァチカン美術館およびシスティーナ礼拝堂は開館から閉館まで居座った。右を向いても左を向いても見上げても大感動の空間。普段生きていてタワマン住まいの社長および同等のお金持ちとかに興味がないのだけれど、さすがにこれだけの芸術を生み出す財力をもったメディチ家にはなんだか感謝したくなった。システィーナ礼拝堂は天井が想像以上に高いから、天地創造をじっくり堪能したければ望遠鏡をもっていくことをおすすめする。近場ではアダムの創造(ET的なやつ)してくれてません。

 

ローマの中心街近くにある骸骨寺について少し。名前の通りの人骨で装飾した聖堂があるわけだけど、あばら骨とかでシャンデリアを作ってみたり、壁一面に仙骨とか大腿骨のアーチがあったりとにかく徹底的に悪趣味な場所だった。この骨はカプチン派の修道僧(4000人ぐらい!)から提供され、飾り付けるのも同じ宗派の修道士たちだったそう。人骨の匂いにくらくらしながら、眼前に続くおびただしい量の骨の芸術(?)にしばらく圧倒されていたが、不思議と嫌悪感はあまりなかった。むしろ、陽気に作業していたであろう当時の無邪気な修道士たちの姿が浮かんできた。昔の人々の死のとらえ方はもっと軽やかなものだったのかもしれない。

 

あと一個怖い話をすると、コロッセオの周辺でなぜかいつもGPSが崩壊しMAPアプリが全部だめになって完全な迷子になった。ドミトリーで同室だったドイツ人の女の子のランニングに付き添って、ぜえぜえ走りながら確認したときもMAPは表示されなかった。怖い。かつて理不尽に殺された動物とか人間たちの怨念なのだろうか。迷子になったときは、一見つんけんしてそうな現地人にえいやと道を尋たところ、こちらがびっくりしてしまうぐらい丁寧に帰り道を教えてくれた。これが隣人愛~!駅でこちらが聞いてもいないのに切符の買い方を横から教えてくる人は100%ぼったくってくるのにね。ほんまに「求めよさらば与えられん」やで。

 

いいかげんローマが耐えがたくなったところで、アッシジに向かう。鳥に説教をするフランチェスコさんが開いた急進的な宗派の本拠地。初期のフレスコ画も拝める。ということで向かった。これがとてものどかな場所にあり、丘の上にぽつぽつと建物群がたち、ローマの華美な教会とは真逆の、こざっぱりした教会ばかりで心の平穏を取り戻すことができた。さぞかし物欲も薄れると思いきや、浮かれて観光客用のブレスレットを買ってしまった。木製の鳥がついたかわいいやつ。

 

アッシジは聖堂と修道施設を見終わるととくにすることもなくなるので、チョコレートの香りが漂うペルージャに移動する。地形的に傾斜の激しい街で、それに対応したモノレールのようなミニメトロに乗るのを楽しみにしていたのだけれど、残念ながら休業中で、地元の人に乗り方や降りる駅を教えられながらバスに揺られて宿に向かった。外国人大学があるからか多国籍の学生が多くいて、気温が少し下がった日没後は、彼らのおしゃべりや香水の匂いやスピーカーから流れる音やらで結構にぎやかだった。宿の人に、今度はジャズフェスティバルの時期においでねと誘われる。元気のある街。

 

フィレンツェ。宿は間違えてキッチンがついてないところを予約してしまってQOLがだだ下がりだった。冷えたパンとフルーツ丸かじりで5日ほどしのぐ。この旅では美術にお金は使うが、食費は徹底的に抑えるというスタンスだったので、自炊用のパスタとソースを抱えて移動していたのに、コンロと鍋がないから使えない。滞在4日目ともなると、あまりにもひもじくて、なんでこんなにお金がないんだと涙がにじんだ。まあキッチンがないことに目をつぶれば、快適な部屋が用意されていたりお庭がきれいだったりでよい滞在先だった。感じのよい韓国人のルームメイトたちは、アウトレットでプラダのバッグをお得に買ったりワイナリーツアーに行ったり、サンタマリアノヴェッラ薬局で香水を買ったりしていた(相手を悩殺する香りだって)。イタリアは本当に色々な楽しみかたができるからいいよね。ウフィツィ美術館では、生ダヴィンチ、生ボッティチェリ、生ティツィアーノ、生ミケランジェロ等々の作品と対面し、空腹で憂鬱だった気分も消し飛び、開館から閉館まで堪能できた。その他、アカデミア美術館、ピッティ宮殿、サン・ロレンツィオ聖堂でミケランジェロの肉体とメディチ家の栄光に仰天し、ミケランジェロ広場でフィレンツェの街全体を染める夕陽を待ったりなどしていた。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は特にその優しい装飾が好きで、くるくるまわりを回って何度も眺めた。

 

ようやくボローニャへ。世界最古の大学の地であり、世界で初めて解剖が行われた場所があり、ボロネーゼ発祥したところであり期待は大きかったが、時期は8月。学生はバカンスにでかけており、日頃彼らを相手にしている街は完全に眠っていた…。他都市に厳しい地元至上主義のイタリア人たちでさえ、ボローニャはグルメの街と太鼓判を押してお勧めしてくれたので、ボローニャでだけは食事にお金を使おうと思っていたのに。しかたないから、空いているお店でボロネーゼをたべる。おいしいけどめっちゃ塩辛い。これが本場の味なのか?

ボローニャでは女子専用のドミトリーがあいてなかったので、男女ミックス4人部屋にチェックインした。同室の一人目は教師をしているポーランド人の女の子で、二人目はオーストラリアからきたクラブとホットなギャルと過ごすことを目的にイタリアに来た陽気な男の子だった。この男の子は朝5時とかに帰ってきて周囲の人間にお構いなしに歌ったりしてうるさかった。もう一人のおとなしそうなフランス人の男の子は朝起きた時におはようの挨拶をしただけの仲なのだけれど、ある日私の枕に彼からの手紙が挟まっており、電話番号が書いてあった。見なかったことにする。

 

次はラヴェンナへ。振り返ってみればここがこの旅で一番好きな場所だった。人は少ないし、壮大すぎる教会建築とか絵画とかに疲れた私を、モザイクの素朴な美しさで迎えてもらった。あと徒歩圏内に観光地が集合しててとっても歩きやすかった。都心から離れているからか、皆すれている感じがなく、なごやかで、初めて夏のバカンスの雰囲気を味わうことができた。郊外にあるサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂がモザイクの色と言い、場所と言い、モチーフといい特別よかったです。

 

終盤の地ヴェネツィアへ。ゴンドラで運河を走行する観光客を魚臭い市場などから眺めつつ、暇なので海が限りなく近くにある生活に思いをはせていた。都市によってこんなにも様子が違うから、イタリアは旅してて楽しいなあと思ったけれど、ヴェネツィアは食事や宿の値段が高すぎ、人も多すぎたため、猫の後をつけたり仮面やガラスを陳列しているお店のウィンドウショッピングしたり、なんとなく道に迷ってみたりした後はそそくさと出て行った。ヴェネツィアにあった本屋でポストカードを書いて出したのに、3か月たってもまだ届いていないのはイタリアン・クオリティ。さすがにもう諦めている。

 

 ローマに帰ってきた。万事における適当さに慣れ、わけもなく遅れてくる電車や、平然と無賃乗車する人間に対してはああまたかと諦観が生まれた。美しいボルゲーゼ公園の中の、ボルゲーゼ美術館に足を運びベルニーニの作品に感動しつつ、楽しいイタリア旅行は終わった。こちらは予約制なので人も少なく、上品でチャーミングな作品ばかりが収蔵されていて、まわっていて快かった。

 

イタリアは嫌いになろうとしたことも何度もあったけど、遺跡や芸術品をみたりしているうちに大好きになった。でもひもじさは楽しい思い出とともに深いところに残っているので、もし次に行くとしたら100万使って周遊したい。早く医者になろう。おわり。

 

 

 

サルデーニャ島 バケーション教室配属

医学部医学科バカンス学専攻所属

 

17.

朝からこれまでやってきた実験のデータの整理をする。PhDに「それで、今週末の予定は決めたの?」ときかれ、アルゲーロに土曜日宿とれたよーとバンザイしたら、「Noooooooooooo! 土曜日だけ?移動時間で終わってしまう!」とラボのみなさまから大ブーイングをうける。イタリア人の休日にかける思いが強すぎて、他人にまでこんなに厳しいなんて。教授直々に金曜は来なくてよし!とお達しがあり、メンバー総出で検索をかけてくれ、何時の電車で行って、何時のバスで帰る、ここに泊まる、みたいなツアーを組んでもらった。わたしはGrazieと言ってニコニコしながら、お金払っただけ。ということで以下のような感じで明日から週末ライフ楽しんできますー。パソコンは重いからもっていかないので、感想はしばらくおやすみにし、帰宅後に文章まとめます。ちなみに一人旅です。果たして順調にいくのか?では、よい週末を。

金曜 Cagliari→Macomer→Bosa 

土曜 Bosa→Alghero 

日曜 Alghero→Sassari→Cagliari

 そして夕食は昨日の残りのピザ四分の一。もう四分の一は昼ご飯だった。当分ピザは…いいなかな…。。

 

18.

さてさて弾丸サルデーニャ島トリップも終焉を迎え、穏やかな心持でパソコンに向かっております。以下は旅のメモです。

カリアリ駅出発。朝ご飯にドーナッツを購入。

・途中から乗り場が変更したため、ちょっと動揺したものの無事乗車完了。基本的に駅の切符改札口がないので、構内に置いてある打刻機に刻印し、乗車後駅員さんがチケット拝見にまわる。つまり駅員さんに見つからない限りタダ乗りが可能。そのためか、この旅で二回ぐらい無賃乗車の現場をみかけた。行きの車内では駅員さんをみた瞬間席を離れて下車し、別の機会では拳銃を脇に抱えた駅員さんが二人して証明書の提出を求め、罰金の徴収をしていた。犯人はどちらも肌の黒い、おそらく移民。サルデーニャでも移民、特に不法滞在者は大変問題になっている。彼らは教育も社会保障も受けられないため、「まともな」仕事にありつけない。露店でパチモンのカバンやサングラスを売ったり、スーパー前で物乞いをしたり、郊外の空き地で売春をしているところに幾度か遭遇した。教育を受けさせ仕事をする機会を与えようという動きもあるみたいだけれど、もともと少ない職が移民にとって代わられては困るという人や、さらに移民・不法滞在者流入が激しくなり問題が大きくなるという意見があるみたいだ。教科書の移民問題そのものという感じで真新しい情報はないけれど、普段の医学生生活ではあまり考えさせられることがないので、帰国して友人とシェアしたい経験だと思った。

・macomer駅に到着。ここからバス乗り換えで切符が必要なものの、窓口に誰もいない…。うろうろしていると駅の外でしゃべりまくっていたおばちゃんが緩慢に戻ってくる。仕事してくれ。しかし、バス乗り場はここからだよ!と案内してくれたりとてもいい人でした。あと待合所の建築センスのよさね。

・運転手さんがお茶をしばいていたため、10分遅れでバス出発。特に文句を言う乗客なし。本当にイタリアはこれだからもう。生きやすそうな社会だ。

・Bosa着。途中から乗客がわたし一人になって心細かった。採算取れているのかこの会社。

・とても気の抜けた街。心なしか広場で流れている音楽も通常よりテンポが遅いような。

・歩き回っているとチェックイン時間になり、宿に向かう。しかしオーナーおらず扉開かず。ここでもやられるのか!と肩を落とし、10分待ったものの来る気配はなく、とぼとぼ再び散策を始め10分後に戻ってくると、Ciao!!と歓待を受ける。イタリア人らしく文句は言わない。テラスのある素敵な部屋に通されたしね。

・荷物を置いて猫たちに挨拶しながら、ここの名所である教会へ。階段がすごい。坂道の多い街って好きだな。

ジェラートを食べ、スーパーで総菜とビールを買ってテラスへ。日が暮れていくのを眺める。

・さて朝ボーザからのバスにあっさり乗り、あっさりアルゲーロ着。

・海の見える街だ!建物は古いけれど統一感があって、空と海の青さとのコントラストが美しい。都市計画の人わかっているわ。

・何気なく路地を曲がると、ふいに海があらわれたりして楽しい。散策がはかどる。海辺のリゾート街素敵。漁港じゃない華やかさと落ち着きがある。

・宿着。ここも素朴でまたよし。ベッドサイドにロビンソークルーソー

・ちょっと遠くにある名勝地へ。だいぶ高いところから壁沿いの階段を一気におりなければならない。景色がよかったから、高所恐怖症兼運動不足のわたしにも楽しめた。足ガクガクだったけど。ゴールの洞窟でしばし涼んでから再び地上を目指し来た道を登る。

・夕暮れ時の景色も最高。ベンチを陣取り、テイクアウトしたピザを食べる。

 

19.

・穏やかに旅程が終了していくので、このままカリアリに戻れるものだと信じて疑わず、通過点のサッサリへ。さて電車はもう到着しているかなと駅をのぞきにいくと、どうも人の気配がしない。どこからか、ぬっとおじさんが現れ「ストライキ」と告げられる。あきらめきれず、質問するわたし。しかし「To Cagliari, Train? 」「No」「Bus?」「No」「Train at night?」「No」とのこと。やりやがったTrainitalia!肩を落とすわたしの後から駅に入ってきたスーツケースを抱えた女性は、カッツオ!とののしりながら荷物を放り投げていた。そ、そんな怒らんでも。しかたなくカフェに入ってwifiをゲットし先生に帰れんくなったと連絡し、宿を探す。ストライキ情報を検索すると四日ほど前から今日の電車がすべてとまるとバッチリ記載されていた。今度からちゃんと確認しよう…。

・とった宿はとてもいいところ。オーナーさんも気さくな人でおばあちゃん家に泊まりに来た安心感と居心地のよさ。英語通じないけど。日曜はほとんどのお店と見どころが閉まっているため、午後をテラスで過ごすことにする。ビールもプレゼントしてくれた。やけ酒だ。イタリア鉄道に対するムカつきが食べ物にまで波及し、今日は絶対にイタリア料理を食べたくなかったから、ギリシャ料理を選択。日没を見送り、各家の照明が徐々につきはじめ、夜の生活音が鳴りだすのをきく。

・ふて寝の翌日、ドキドキしながらgoogle mapをひらくと遅延の表示が!絶望!とにかく今日は絶対にカリアリに帰るんだという強い気持ちで、万一のためのバスで帰るルートも調べて宿を出発。望みは捨ててはならないと、駅に向かう。そしたら駅方向から荷物を抱えた人々が出てくるではないか!これはいけるかもしれないと急ぎ足で向かうと、ちゃんと運行している!!ありがとう!!ありがとう(googleだましやがったな)!!

・無事チケットの購入が終わって感無量でチケットの写真をとった。

カリアリまで乗り換えなしで到着。かえってこれたよ…。勝利酒をする。でもどうやらストレスか朝飲んだ常温で置かれた牛乳のせいで、ここにきてお腹の調子が急激に悪化するはめに。スピリッツなんて飲んで胃粘膜傷つけている場合じゃなかった。

・バカンスシーズンの到来を告げるかのように、カリアリの街は人であふれていた。

・本日の夕食はペペロンチーノでした。わたしの胃粘膜…。

 

 20.

朝からラボへ行き、待機を命じられたのでこれまで溜まっていた日数分の日記を書く。もはやすることがないらしい。みんなバカンスに向けて研究おさめをしているから、日を追うごとに課題は少なくなっている。大人になっても一か月ぐらい休めるのって本当にいいよなあ。ラボにいた学部生の子も今日からバカンスらしく、朝ちょろっと作業した後、元気に去っていった。去り際に、イタリア流の挨拶(ほっぺをくっつけてキスをする。フランスのビズみたいな)をわたしにもされて戸惑う。あと半年こっちにいれたら堂々とできそうな気もする。

普段生理学を教えているわたしの担当の先生は今日三人の学生の口頭試験をしており、その出来の悪さに頭を抱えていた。同僚に愚痴をいいながら悪態をつきまくっていて不機嫌度Maxだった。こちらの学生は0点~30点(18点以上で合格)で評価され、今日は18点が一人で、残り二人はそれ未満だったらしい。き、厳しい。

昼ご飯を終えたあとはみんなで会議室のような部屋へ。ドアをあけると20名ほどの教授陣が勢ぞろいしているではないか…。何事かわからないまま、勧められるがままにお菓子を食べ、日本に関する質問(富士山登ったことあるか、最近の日本の猛暑についてどう思うか、日本天災多いよね?、福島原発についてどう考えているか、日本の休暇事情など)に必死に答えているとおひらきとなる。あとできいてみたら、わたしのラボの教授の誕生日会だったそうだ。はよ言うてくれ。明日ハッピーバースデー言わなきゃ。

腹痛がピークに達したので、街へでかけるのをあきらめておとなしく家で昼寝をする。今日の夕食はリゾット。前回の米料理よりはましになったものの、味に奥行きがない。

 

21.

昨晩寝ながらうなっていたらしい。原因不明の腹痛といい、気づかないうちにストレスたまっているのかな?しばしば学校に遅刻していくわたしが、毎日ちゃんと時間通り起床してお弁当作って定時のバスに乗っているからか?でも昨日昼寝をしたおかげで、あるいはリゾットを食べたおかげで、ちょっとお腹が調子を戻しつつある。

 今日は大学付属の博物館へ。2時間ぐらいかけてさほど大きくない展示をひとつひとつ丁寧に解説してもらう。サルデーニャ島の伝統衣装とか、昔使っていた粉ひきとか、ミイラとか。たぶん一人で行っていたら(解説もなにも書いてないし)30分も滞在しなかった。ついてきてくれたPhDはあからさまに「じゃべり過ぎやわ」とうんざり顔。しかし、運が悪いことにわたしは博物館大好き人間だったから、あれは?これは?と興味の赴くままに聞きまくり長い話をさらに長くし、PhDのみならず他のメンバーも「はよ終われ」顔にしてしまった。ミイラの出現した地域では、ちびっ子が悪いことをすると、ミイラのところにつれていくよ!と脅すらしい。地元感ある話だなあ。

 大学が終わると、文具店へ行き最終日に渡す餞別用の画用紙を買う。鶴でも折ろうかなと考えている。硬い画用紙しかなかったから、ちゃんと折れるのかすごく心配だけど。強度があるから長持ちすると考えておこう。その後はジェラートカリアリのアイスは本当においしい。人工甘味料に頼らず、材料混ぜて作っている味がする。そして宿に戻ってだらだら。今日は買い出しに行こうかという話をしていたが、めんどくさくなり、冷蔵庫の残りものレシピになった。名前も分類もない。パスタは(質的に)茹ですぎてしまった。

 

22.

 終了書を書いてねと先生に伝えるだけが今日の作業だった。同期の子が今日ラボお休みなんですーと何気なく伝えたら、「あ、ごめんね、じゃあ、あなたもカリアリで遊んできて」と伝えられる。今日気合い入れてお弁当作ったんだけどなあ。ということでカリアリ市内へ。蝋でできた解剖学標本を観察する。めっちゃよくできてる!解剖学試験のときにくるくる回して使いたかった。景色の良いところを探してお弁当タイム。Wifiがないからgoogle mapで乗り換え検索できず、ちょっと迷いながらバス停を探し、行先不明だけどちょうど来たバスにえいや!と乗る。なんとか街中に出たのだけど、バスの運転手さんの運転が荒すぎて、乗車中絶えず手すりにしがみついていた。そしてカリアリで一番好きなジェラッテリアで一番好きなピスタッキオ味を。幸せ。

 しばし休憩してから浜辺を歩いて目的地の教会へ。暑い。階段多い。営業時間書いてなくて不安だったけど、開いていた。内装は新しくきらびやか。どうやらこっちが増築された部分らしく、隣の少し小さいほうの元の教会部分はもっと質素で年季が入っていた。外気温の激しさに対して、教会のひんやりとした感じが心地よく、アイスを入れたお腹も満足げで、ついうたた寝をしてしまう。次に意識が戻った瞬間には午後のミサで訪れた人々に囲まれていた。そそくさと外にでる。帰りは近距離を横着をしてバスに乗ると、バカンス客ですし詰めでカリアリ初の満員バスを経験した。ここは京都か。歩くより疲れたかも。

 夜は宿のオーナーに誘われて夜のカリアリを探索。車で出かけたのだけど、この日は街中のあらゆる店が深夜まで営業していたり、特別なショーがあったりして真夜中をこえても人でごった返していた。そのため、車をどこにも停めることができず街からだいぶ遠いところから歩く羽目になった。他の車もカリカリしていて、よくクラクションの音が響いていた。カリアリでは一生運転できない。たぶん夕ご飯食べるんだろうな、と予想はしていたもののお腹がすいていたから軽く食べてしまって、おいしいピザを前に後悔。ビール&ピザ最高。そして予想はしていたけど、ジェラートも食べる。おいしい。でもお腹がさすがに限界。ドライブ中やお食事中にサルデーニャ島のことをやたら聞いてくるなといぶかしく思って、よくよく話をきくと、どうやらイタリア嫌いらしい。イタリア統一で弊害がないはずはないけど、「わたしたちは侵略された」と強い言葉を選んだぐらい苦々しい気持ちでいるようだ。オーナー夫妻が話しているサルデーニャ語も統一直後は話すことを禁止されていたらしく、どこにでも植民地思想は根付いているのだなとうんざりした。

帰宅後はうとうとしながらシャワーをあびて、うとうとしながらなんとかドライヤーをかけて就寝。生乾きだったおかげで次の日の髪型がひどいことになっていた。

 

23.

午前中はラットの脳をスライスする過程を見せてもらった。計5つの脳が薄くなりました。薄すぎて丸まって細いパスタみたいに。そして午後は全部ラスト!ラスト昼ご飯、ラストコーヒーブレイク。悲しい!最後はみんなで写真を撮ってさよならの嵐。Baci(キスする挨拶)はちょっと…といったら遠慮してくれた。最後にラスト夕食づくり。冷蔵庫はほぼ空。サルデーニャ、来れてよかったなあ。

 

24.

部屋の大掃除をし、ローマでのホステルの予約を済ませる。そして魔の荷造り。来た時から何も買ってないのになぜか荷物増えてる…??荷物、成長したんか??昼から街中へ。ヨーロッパ一美しいと言われている海岸線にようやく行くことになった。確かにとても広いビーチで道も舗装されていて、イタリア人に生まれていたら通いそう。もちろん日本人たる私は、海辺のバーで時間をつぶす。街中に帰ってきてもジェラート屋さんだったりカフェで時間をつぶす。だんだんバカンス客の態度が身についてきたぞ。

夕方は街を一望できる場所でアペリティフをご一緒しましょうと言ってきたカリアリ大生とそのお姉さんとともにチルアウト。今後一度は言ってみたいセリフに「アペリティフご一緒しましょう」がランクインした。スピリッツを軽く飲み、夕陽を見送った後は彼のご両親とともにピザ。一人一人の個性をみんなでカバーしあっていて、すごくバランスのとれたいい家族だった。サルデーニャ島で出会ったみんなと別れるのがあまりにも寂しい。帰宅後は荷造りの続き。1時過ぎには就寝。

 

25.

6時半に起きて、なんとかタクシーに滑り込み空港へ。ついに!さらば愛しのサルデーニャ!フライトは遅れるでもなく揺れるでもなくスムーズで、午後にはローマに到着。そしてめっちゃ古い建物の中のホステルにも到着。ここのエレベーター古すぎて笑えるから誰か見てほしい。

 

 

サルデーニャ島 研究室配属とは…?

まるでピスタッキオジェラートを食らうサトゥルヌス

 

10.

My誕生日!イタリアで迎えることになるとは。

とりあえず今年の目標。

・毎日一日分の野菜を摂取すること

・自分の不機嫌を他人に押し付けないこと

・旅をすること(これは昨年同様。前回分は達成できた?)

 

朝ゴミ出しに行こうとドアを開いてびっくりした。宿の人たちからのバースデーサプライズが!風船やら装飾やらが廊下のあちこちにぶら下がっていた。嬉しすぎる。イタリア語では「誕生日おめでとう」を「一年コンプリートおめでとう」と祝うらしい。生まれたことを祝福するのもいいけど、辛いこともあっただろうに一年よく生きた!というのも、それまでの過程を認めてくる気がして好き。

さて今日も今日とて普段通り研究室へ行き、普段通り実験。学部生がいなくて先生たちのプロジェクトの一環を見学(ちょっと手伝う)。針刺し事故を起こしてしまった以外は順調にすすんだ。そして、休憩中、メールを確認すると宿のオーナーから今夜、誕生日のboat tripをしないかと打診があり、どこに行くのか、そもそもboat tripってなに?とよくわからなかったけどOKする。帰宅して昼寝した後、ボディーソープと歯磨き粉を買いにいったら、ばったり家のガレージから出てきたオーナーとはち合う。奥に膨らんだゴムボートがみえたのだけど、まさかこれではないよな…と一気に不安に。ここに8時に集合ね、と言われて別れる。ちょっとはやめに食事を済ませ、8時すぎに出発。カリアリの街に面するヨットハーバーに向かって車が進んでいき、ゴムボートのフラグが折られてひと安心。そして車から降りて彼らの後をついていく。

案内されたのは、ゴムボートと一瞬でも思ってしまったことが申し訳ないぐらい立派なセイルボートだった。キッチン、冷蔵庫、トイレ、ベッド、自動操縦器もろもろ完備。4月に手に入れたと言っていたから船内は比較的新しい。運転は普段クルージング船の運転をしている息子さん。プロに操縦してもらえるなんて。満を持してサンセット・クルージングスタート。軽食を食べつつおしゃべり。のんびり風と海を楽しむ。「研究室配属とは」と疑念が頭をよぎったけれど、すぐに忘れる。最後にはシャンパンとケーキをいただいた。

好きなことを好きなだけしてわがままに生きている人生なので、世のバランス的にわびしい誕生日を迎えても仕方ないかなーと諦めているものの、毎年家族なり友人なりに祝ってもらって、楽しく誕生日を迎えることができている。それが、今年はまさかのクルージングとは。豪華さはこれまでの誕生日で一番。これは明らかに収支があわずおかしいぞ…と考えてみたところ、前世は徳を積みすぎたチベットの高僧なんじゃないかという結論に至った。ありがとう!よくやった前世のわたし!現世であなたの徳を消費しまくります。

 

11.

暑い。本当に毎日暑い。37℃とかちょっと太陽がんばりすぎている。世界的にも猛暑のようで(?)イラン南部では50℃を超えたらしい。PhDの人が標識コーンの溶けた画像をみせてくれた。今日は学部生が誰もいなくて、ラボの人たちのプロジェクトを見学。といっても内容はデータ分析で、新しく来たソフトウェアを使いこなせず悪戦苦闘していた。彼らの会話を日本語に訳すと(たぶん)「ああすればいいんじゃないか」「こうすればいいんじゃないか」となるものの、イタリア語で議論すると身振りも声のトーンもどうしてもけんか腰にみえてしまう。本日は8割イタリア語で、取り残された悲しい思い。イタリア語しゃべれないと親密さレベルはやっぱりあげれないよなあ。

ブルーな気持ちで研究室を出ると、同期の子とばったり。今から動物飼育室に行くらしい。わたしも行きたい!といつもの例にもれず、ずうずうしく主張したらいいよ!と快諾される。そして見学が終わった後も、月曜日のラット手術見学したい!と言ったら、許可証申請してみるから結果の出る月曜日に一回来てね、となった。言ったもん勝ちである。

 

12.

だらだらと休日の朝を浪費し、11時にカリアリ着。今日は友達の友達(カリアリ大生。日本語ぺらぺら)が街案内してくれるらしい。さっそく見晴らしのよいところへ数か所連れて行ってもらう。

わたしたち以上に暑い暑いと連呼していて、私たち以上に日差しで弱まっていた。現地人のその姿をみてちょっと安心する。やっぱり、普段日中は出歩かないそうだ。さらに、昨日の夜が暑すぎたのと蚊がうるさかったのと、試験終わりのトリプルパンチで寝不足を抱えていた。日本の医学生の夏みたい。コースとしては、オープンテラスでピッツァを食べ、カフェをたしなみ、お店をひやかし、ジェラートをほおばり、ちょろっと教会をのぞいて、再びカフェでスピリッツだった。基本的にずっと話しており、イタリアに関する全般的なことから恋愛事情まで色々きけた。

彼は典型的なヨーロッパのエリートで、政治学専攻にもかかわらず、ラテン語ギリシア語もドイツ語も日本語も英語も理解できる。日本には昨年の冬に卒論のために留学していたらしい。すごいなあ。わたしもせめてイタリア語をもう少しがんばろうと思った。昼にピザをホールで間食したため、お腹がすかず夕食は抜きで就寝。明日は洗濯しなくちゃ。

 

13.

朝から本を読み、洗濯をする。日曜日のため、宿のまわりはめっちゃ静か。車がほとんど通らない。15時のバスで街まで行こうかなあ、外出するのしんどいなあ…と思っていたら、結局そのまま家にひきこもるはめに。訪問したい教会は日曜閉館だしね。窓から外の激しい日差しを眺めるだけで午後が終わる。そして朝調子のよかったネットもつながらなくなったため、もはやすることがない。ベランダに設置してあるルーターの様子を見に行ったら、相当な熱をもっていた。お前も暑さにやられたのか…。しかたないから飲み始めるかと思いきや、外気温35℃というケータイの表示をみると、買い出しに行く気力が完全になえた(そもそもお店は閉まっている)。日曜日は何もしなくてよし、というサルデーニャのメッセージだろう。余った食材で夕食を適当につくり(ツナジャガイモミルク煮好評)、就寝。英気を養ったということにしておく。

 

14.

朝ラボのボスが寝不足気味に出迎えてくれ(実際寝不足)、本日の手術の担当者が寝不足気味に説明をしてくれた(実際寝不足)。二人とも昨日の夜が暑すぎて寝れなかったらしい。わたしたちは安眠できたので、「現地の人暑さに弱い説」がさらに強化された。しかし、ラボの人の友人は昨日poetto beachというカリアリ随一のビーチ(わたしはビーチに興味がないからいまだ訪れておらず)で昼前から16時の一番暑いときに遊んでいたらしい。毎年暑さで何百人と亡くなっている国からきたインド人が、クレイジーといってたぐらいだから、この暑さの中何かをするのは相当常識はずれなんだろう。あるいは、研究職についているこの人たちは勉強しすぎて暑さの中遊び慣れてないのかもしれない。いや、遊び慣れてないイタリア人はおらんか。

器材を準備したところで、本日メインのラットの頭蓋にネジとプロッブ(王冠みたいなの)を突き刺す過程を見学。なかなか詳細には書けない感じの実験。手術中にmaroon5やその他ポップチューンが流れていて、場にそぐわない音楽とはこのことかと思う。壮大なオペラでもなんか嫌だけど。作業終了後はお昼ご飯を食べ、カリアリ市内へ。お目当ての教会は閉じていて、しかたなしにジェラッテリアを新規開拓する。しかし、なんと愛すべきピスタッキオ味なし…。どうやらヴィーガン向けのアイスクリーム屋だったぽく、ミルクを使ったピスタッキオジェラートは置いていないそうだ。残念。もう一軒いこうかなとお腹が物申していたけれど、理性で防いだ。ふてくされて散歩している途中で爆睡する猫をみかける。暑さでうだっているここ数日間のわたしみたい。

 

15.

午前中は昨日脳に装置を入れたラットの脳髄液をとる過程を見学する。本当はオキシトシンを入れたりするそうだけど、人が多すぎると実験に影響が及ぶから立ち入り禁止をくらった。そのかわり研究室の機械の説明をしてもらう。さらに来週は特別に用意したラットでデモンストレーションできるよう手配してくれた。なんていい人。午後はいつもの研究室に戻り、ラボメンバー総出でレクチャーに行く。一時間半にわたる早口英語講義で脳が途中から処理を拒絶してきたので、詳細までは分からないが、ポリフェノールとかω3、ω6を摂取したラットの実験結果を説明していた。手元には赤ワインと乳製品が体にいい、もっとサルデーニャ料理楽しもう、camu camu(ポリフェノールを多く含む南アフリカのスーパーフード)の言葉の響きがかわいいというメモしか残ってないので今読み直して絶望している。イラン人のPhDもcamu camuを気に入ったらしく、camu camu? CAMU CAMU!!!といって二人でくすくす笑っていました。オノマトペ最高。

講義の途中から始まった頭痛が自宅に帰ってからも続き、無能状態のままベットに転がっていた。熱中症?あまりにも痛かったから、頭痛薬に手を伸ばすと嘘のように効き、夜は快適に過ごすことができた。お薬最高。しかし!夜にさらなる悲劇が。Wi-Fiがつながらない、シャワーの排水が上手くいかない、ガスが出ないから続いていた家の不調がついにピークに達したのか、お湯が出なくなってしまった。気管支を収縮させながら、水浴びをする。むっちゃ寒い。なにがなくても夜のホットシャワーやで。せめて夏でよかったということにしておく。

 

16.

朝から放置プレイをいただき、今週末の予定を同期の子と相談していた。島の北部アルゲーロに遠出しようかという話になり、サルデーニャは四国ぐらいの広さなので、頑張れば(わたしは頑張れないので行くなら一泊したい)日帰りでいけるかな?と計画を立てた。日帰り厳しいかな?一日必要かな?というニュアンスで”is one day OK …?”と先生に聞いたら、「必要なら金曜から休んで向かってもいいよ!それなら2、3日いける!」という返答をもらい、やはり日本人、まだまだイタリア人の「のんびりする」という技を習得できていないのだと痛感する。

以前何気なくサルデーニャで料理教室に行ってみたいとつぶやいたところ、どうやら教授にまで話が及んでいて、研究室のみんなが色々調べてくれた。なんなら、コーヒーブレイクのときに通りがかりの知り合いを捕まえて、料理教室やっている人知らない?と声をかけまくる。おかげで、近頃すれ違ったときに、ああ!料理教室の!みたいな顔でAh∼Ciao!とあいさつされるようになってしまった。

夕食は宿から15分ぐらい歩いたところにある巨大ピザを出すお店。おいしいけど、当たり前に半分しか食べれなかった。

 

 

 

サルデーニャ島 研究室配属スタート

ご飯を作らずにはいられない呪いにかかっている。

 

1.

8時にオーナー夫妻が明日から乗るバス停等を案内してくれつつ、大学まで送ってくれた。しかし、大学病院が広すぎて研究室がどこにあるかわからない。奥さんのほうが教授に電話してくれる。初対面の二人のはずなのに、長いおしゃべりをして盛り上がっていた。サルデーニャ人フランク。かつてポルトガルで出会ったブラジル人が「Shyなブラジル人はブラジル人ではない」と言っていたが、ここもそんな感じなのだろうか。研究室の場所はどこか分かったが、8時30分の時点で誰も来ていないらしく、しばらく待つようにいわれる。9時30分近くにやっと教授が来る。ラボの人を紹介されつつ、とりあえず宿から大学までの一か月定期を買いに行くことに。これが55ユーロとそこそこのお値段がしたが、まあ宿から中心街までも行けるし毎日乗るしと思って納得して購入すると、連れ添いの人が”They are almost a thieve”とお怒りモード。日本の交通費の高さで目がくらんでいたが、そういえばヨーロッパは往々にして交通費は安いんだった。私たちの宿泊地は中心街から離れるため特別に料金がかかってしまうらしく、今からでも宿を変えるべきだとも言ってきた。ちなみにこれはラボにいた人全員とのちに仲良くなった用務員さんにも言われた。

 

研究室に戻ってからは、ラボの人たちが新しい機材に試行錯誤しているのをみつめる。この機械でさまざまな小分子が正確に測れ、自動計算ができるようになるらしい。今回計測していたのは、栄養や運動量を制限されていたラットの肝臓の脂肪の量だった。パソコンの前に座っていた人たちは、真剣にああでもない、こうでもないと議論していたが、所在なさげな後ろの大学生とPhDはぺちゃくちゃおしゃべりしていた。研究内容かなと最初は思っていたが、携帯の写真をみた限りここのお店のリゾットがめちゃうまだった、みたいな話をしていたと思う。あと、基本的にみんな英語はそんなに得意じゃない。教授のように上のポジションにいけばいくほど流暢さがあがるものの、ラボの中ではだいたいイタリア語で会話が行われる。お昼ご飯をラボの人全員で食べ(みんな飾り気のないタッパーにサラダ+フルーツorタンパク質。わたしが日頃もっていっている雑な弁当みたいで親近感)、コーヒーを必ず飲み、作業を開始する。担当の教授はこの時だけ現れ、みんなとビーチいきたいね!と言ったり日本を訪れたときの写真をみせてくれたりして再びいなくなった。何しにきたんだ。

 

午後は先ほどのコンピュータ作業だけなようなので、帰ります!と自己申告すると快諾され、バス停まで送ってくれた。ここでバスを待っているようにとラボの人に言われ、時刻表も何も書いてないバス停でおろおろ待っていると、そばにいたおじさん二人がどこから来たんだ、大学生なのか、イタリアにはどれぐらいいるんだ、どこにいくんだ、この系統のバスに乗れ、オレンジじゃなくて青色のバスだぞ、切符の通し方はこうするんだとあれやこれや言葉が通じたり通じなかったりしながら話しかけてきた。思えば、ローマの空港からホテルまで移動しようとタクシーを探していたときも、こっち側のタクシーは空港正規のもので高いから向かい側の地元のタクシー使いなさいと言ってきたおばちゃんがいて、イタリア人は親切な人が多いのかもしれない(単純)。

交通関連でもう一つ。サルデーニャ島は、特に中心街では高い運転技術が要求される。スピードが遅ければクラクションがなるし、街が入り組んでいて交通規制が多いし、車が多いので狭い空間に縦列駐車をしなければどこにも止めるところがない。あと街並みにフィアットがとてもお似合い。

 

アパートについたら、二日後に変えるわーと言っていたベッドがシングルにかわっていた。こんなに早く対応できるのになぜ最初にダブルという初歩的なミスをしたんだ。今日はやたら明るい夜(20時台にようやく日が落ちてくる)だった。近所のスーパーによってみる。ワインとチーズと加工肉とパスタが多い。パスタなんかは日本の米売り場以上の面積と種類がある。スーパーは野菜が量り売りで、ガラス容器が多くて、スーパーの前には物乞いの人がいて、レジで袋を頼むと結構お金取られて、ああ、ヨーロッパ来たなあと感慨深くなった。トマトベースのパスタをつくり、夕食を済ませ地ビールを飲む。

 

2.

朝起きてシャワーを浴び、サンドイッチ(パニーニ)とフルーツをつけて簡易なお弁当を作成。念のため8時半に大学につくバスにのる。予定通り到着し、予定通り待ちぼうけをくらう。PhDと助教のような人が9時過ぎにきて、適当に過ごしてて~と言われてさらに待つと9時半ぐらいからぼちぼち学部生ら4人がそろい始め、10時少し前に准教授がきて実験室に呼ばれた。日本の研究室ってこんなアバウトじゃないよね?全体で説明があるのかと思いきや他の学部生4人と別れ、PhDのイラン人に英語で明日から行う実験の過程を説明される。ちなみに彼女は一年半前にイランからきて、研究の傍らイタリア語を独学で日常会話に困らないぐらいまで上達したすごい人。別室ではイタリア語で講義が始まった。ざっくり流れを言われるのかな、と思っていると各ステップを追いながら、これが何mgでこっちが何mlとひとつひとつノートに書くように指示され、明日からの研究の大変さが伝わってくる。かかわらせてもらえるのはありがたいけれども。気を抜いていると、脂肪酸の種類は?カンナビノイドの受容体は?とか聞かれるので、神妙な顔つきで考えているふりをし随所でうなずき、事なきを得る。内容の6割ぐらいしかわからないまま、13時近くになるとようやくランチタイムが始まった。学部生たちは近々行われる試験に備えないといけないみたいで、ここで帰宅。先ほどのぴりぴり感が嘘みたいに、和やかムードで食事をする。一度も研究内容の話をしていないみたいで(会話の8割イタリア語だから正確ではない)、オンオフの切り替えがうまいなあと感心してしまう。ジェラート食べたいと言い出すと、紙に地図を書いてくれ、皆で喧々諤々とここの店はまずい、ここがbuono!と言って騒いでいた。食後のコーヒーを研究室外のオープンスペースで飲み、1時間半ぐらいで休憩を終了する。午後は教科書を手渡され、脂肪酸について勉強するように促される。基礎の理解をしていないことが完全にばれている。それから、ぐちゃぐちゃの実験ノートを見せて、実験過程をまとめた英語版pdfをくれ!とPhDに泣きついたら、「でしょうね」みたいな反応をされ、メールで送信してくれた。もう帰っていいよ!という流れになり、もちろん帰った。

ちなみにわたしの研究室は教授(基本的にいない。一日に1回1分ほど顔を合わせるだけ)とクリスチアーノ・ロナウドばりに顔も体系もイケメンなのに壊滅的にファッションセンスのない学部生を除く、メンバー7人は全員女性である。コーヒーブレイク中にエスプレッソマシンの前に集う他の研究室のメンバーをみていても、男女比が半々か女性が多いかなという印象をうけた。日本と比べて女性が研究者になりやすいのかな。

宿につくとお弁当用のタッパーを少しまけてもらって買う。明日からはお弁当生活。宿についてオイルサーディンをぶち込んだパスタをつくったあとは、もらったPDFと格闘する。なんとか概要がつかめ、ノートにまとめたところで睡魔がピークに達し、ベッドに倒れこむ。おやすみなさい。

 

3. 

ひとまず、あいさつと実験でよく使う数字は覚えようと朝食を食べながらイタリア語の勉強を少しする。バスの乗り降りとお店でチーズやハムの量り売りの注文をさらっとできるぐらいにはなって帰国したいな。昨日と一本遅めのバスに乗るべく、少し遅めの時間にバス停へ。昨日のバスと大きさが違っていて、気づいたときにはすでにバスの影はみえない。しかたがなく次のバスに乗る。研究室につくと、もう実験をはじめていた。しかし、特別なおとがめはない。すべてイタリア語でレクチャーが行われるので、自分の実験ノートをみながら今何をしているのか確認し、この過程はどういう意味があるのかなどと聞かなければ勝手にどんどん進行してしまうので、できるだけ食いついて存在感をアピールすることに徹した。

実験のはじめに、ラットの脂肪組織片を切り取る作業をさせてもらったが、解剖で使用した懐かしのピンセットとハサミでチョキチョキきっていたら「日本人はSUSHIを箸で食べるから、やっぱり手先が器用だなあ」と感心される。いや、SUSHI関係ないぞ。ちなみにこのエピソードが本日のハイライトで、あとのほうでイタリア語の飛び交うなかに割り込んで「わたしも試薬作りたいです!」と言ったら、「あら、いたの忘れてた!ちっさくて見えなかったHAHA。」と返事されてだいぶへこみました。もっと目立たなければ…。今夜つくったカルボナーラがとってもおいしかったことが唯一の慰め。

 

4. 

今日の午前中に留学生支援課でRegistrationしてきて!と言われ、カリアリへ。マクドナルドにて、PhDの人がきてくれるまで待機する。イタリアのマクドカプチーノとか甘いパンとかが売っていて、日本のマクドとは何やら様子が違う。普段ほとんどマクドいかないから、詳しいメニューの違いはわらないけど。カリアリはわたしの宿泊地と違ってめちゃめちゃ都会。PhDの人からwhatsapp経由で電話がかかってきて、合流してオフィスへ向かう。坂が結構急で、午前中だからいいものの、昼間の炎天下の中歩き回るのはしんどそうだ。案の定、窓口が開く10時に行っても担当者が不在だったから、PhDの人の留学手続きについていく。今年の秋からカナダの大学でdouble degreeを取得するらしい。そしてあわよくばカナダ(あるいはアメリカ)でポストが欲しいそうだ。イタリアは母国イランと同じで経済的にそんなに恵まれてないうえ、外国人が仕事を得るのが難しいから働くことはない、と言っていた。オフィスに戻ってみると、ようやく担当者に会え、もろもろの手続きを済ませ、一番偉いっぽい人に会い(よくわかってない)、カリアリ大学グッズをもらい、午前中の用事は終了。

帰り道、週末遊びに来るならカリアリ市内を走るバスのカードを買うべきだと言われたので、タバッキで回数券を購入する。引率のPhDには一回乗ると1.5€なので、週末8日間のうち毎日ビーチに行くとすると往復で最低24€かかるから、回数券じゃなくて定期券(21€)が圧倒的に安い!とめちゃくちゃ押された。Noと言える日本人を目指して「いや、ビーチそんな行かん」と断ったら「はあ?じゃあ何するの?」みたいな顔をされる。こちらの人がビーチにかける情熱はちょっと理解しがたい。あと日焼け。最初は日本にいたときのようにアネッサを塗りたくっていたのだけれど、小麦肌サイコー!という周囲の価値観に染まって、まあ、多少の日焼けはOKかな~と流されつつある。

バスでラボに戻ると、すぐに実験室に移動するように言われる。大半の工程が終わっていて、試薬を少し混ぜたりしたあとは、作ったものを機械にセットして13時には終了した。皆でいつものごとくランチとコーヒー(今日の話題は整形。日本人が特に目を大きくするためにいろいろ工夫しているという話をしたら、生まれつきのデカ目たちは、MANGAのキャラたちの影響じゃない?みたいに爆笑してた。失礼な。)を済ませ、事務作業。わたしはひたすらイタリア語の文法サイトをあさる。Rの発音の仕方を厳しく指導してもらい、よい週末を!と言って研究室を後にした。ぼやっとしていたら、一本バスを逃し、待ちぼうけをくらって一時間後に宿に到着。

夕食は、「ナマハム100gクダサイ」と必死で覚えたイタリア語をスーパーの量り売りのお兄ちゃんに使い、おいしそうな生ハムをゲットできたので(ついでに「リコッタチーズ スコシ クダサイ」も)、ボロネーゼの付け合わせが豪華になりました。

 

5.

土曜日らしく二度寝を繰り返して、朝10時ぐらいに活動を開始する。今日は時間がない(寝すぎた)から洗濯物いけないね、となって宿の掃除をする。朝ご飯を済ませて、いざカリアリ市内へ。今日は平日にみなからおすすめしてくれたショップをめぐることと、街中の軽い偵察が目的。バスステーションから降りて最初の目的地であるジェラッテリアに行くも、閉まっている…。15時過ぎから開店とな。イタリア人はジェラートはおやつから夜にかけてしか食べないらしい。しかたなしに、MANGOやZARAカリアリ三越伊勢丹などをひやかす。今日はセール初日でほとんどの店舗が割引きをしており、地元の人たちもこぞってショッピングバッグを大量に抱えていた。ちなみに普段10時~13時、15時~19時と二部制になっているお店も、セール期間の週1日は深夜まで空いている。それにしても、普段お店を占めてまで2時間たっぷり休憩するのが日本では考えられないことだ。

日差しはだんだん強くなる。最初が空振りに終わったものの、完全にジェラートを食べるお腹になっているため、代替のジェラッテリアを探し、初ジェラートを注文。ちなみにピスタチオ味。Buono!14時過ぎているため、半ばあきらめながらサルデーニャの郷土料理を提供しているお店をのぞく。なんと、空いていた!ラッキーと思って座ってメニューを受け取ると全部イタリア語。グーグル翻訳で戦っていると、お店の人が英語で解説してくれた。観光客がよく来るからかわからないけれど、街中はそこそこ英語が通じる。野ブタソースのラビオリと芋虫みたいなサルデーニャ特有のパスタ、トマトソース和えを注文する。味は前者が塩辛すぎて、後者はトマトそのものの味で日本舌のわたしが求めるマイルドさに欠けていた。計20€。

食べ終わって外に出てみると、あまりにも暑くてカフェに避難。昼からスピリッツ入りの巨大なカクテルを飲む。日差しが尋常じゃなく強いためか、基本的にヨーロッパ人たちは同じようにカフェでまったりしている。せかせかするのはバカンス地には似合わない。お会計はピーナッツやサンドイッチやチップスの付け合わせもついて計10€。やっす。また来よう。薬局に寄ってシャンプーを購入。フランス製だけど(せっかくならイタリア製がよかった)、研究室の人がおすすめしていたブランドなので信用して使うことに。帰りはビーチパラソルを抱えた人や、これからnight out に行くギャルたちのいた駅から岐路につく。夕食はいらないねーと話していたのに、ちょっと小腹がすいてハムと適当につくったサラダを食べてしまった。確実にデブ化傾向にある。イタリアは胃袋がいくらあっても足りないから拡張訓練だ、と開き直る。

 

6.

本日は9時半ぐらいにのそのそ起きだす。もはや炎天下の中、歩き回るのが億劫なので午後から夕方にかけて街中に行こうということに。そもそも13時ぐらいにいったんお店が全部閉まるから(そして日曜は街中の一部のお店以外閉まったまま)、15時ぐらいに再び開店するときに出かけるのがちょういどいい、ということにしておく。洗濯物をコインランドリーで片付け、明日のお昼ご飯の食材を買いだす。

さて、そろそろ街に繰り出すかと思ってバス停へ行くと、バスがどうやらすでに通り過ぎてしまったようで待てども待てどもこない。いや、ぎりぎりに着いたわたしたちが悪いけど。次は何時かなーと確認するとなんと驚愕の19時。イタリア人日曜日は働かないときいていたが、ここまでとは。しかたなく部屋に戻ってダラダラ。わたしはイタリア語の勉強。ジェラートの頼み方と、種類と、ピザ屋での振る舞いかたを学ぶ。ピスタチオ(イタリア語風にいうならピスタッキオ)とミルクの2スクープをコーンで!ありがとう!ピザを二つテイクアウトで!ありがとう!を何度も繰り返す。それから、ピザにのるかもしれない具材のイタリア語を確かめる。Pomodoro(トマト), fungi(キノコ), aglio(ニンニク)…。お腹がすいてきた。

カリアリから宿に戻るには20:20分の最終バスに乗らなくてはならなくて、行きは19:20分カリアリ着のバスしか選択肢かなかったので、実質一時間以内にピッツァとジェラートをゲットすることが今夜のミッションである。目的地をgoogle mapで二人で確認し、いざ第一関門のピッツェリアへ。開いたばかり(基本的にどのピッツェリアも18:30以降に開く)で、先着なし。やった!スムーズに注文をし、焼き立てのピッツァを手に20:00で退店。思い残すことがあれば、焼き立てをぜひ食べておきたかったことか。お次はジェラッテリア。こちらは子ども連れや地元の人で大混雑。言ったもの勝ちのような雰囲気なので、すぐさま店員を捕まえて注文する。そして、5分後には念願のピスタッキオ&ミルクを頬張ることができた。わたしの愛するピスタッキオ・フレーバーはどのお店でも並んでいるから嬉しい。

 

7.

わたしの研究室は少しはやめに始まるので、今日は一人でバスに乗って大学へ。9時ぐらいについてみると、秘書さんのみ。やはり。ぼちぼち集まりだし、今日はわたしを含めた3人の学部生で実験をする。午後に会議あるから、早く終わらせたいという教授の言葉に、これははよ帰れるんちゃうかと期待大。順調に実験をすすめるが、以前紹介したファッションセンスのないクリスチアーノロナウドが、途中で試薬の量と入れる容器を間違えるという大失敗をやらかす。どうやら話をきいていなかったらしい。先生激おこ。わからなかったらきけばいいのに!と別の女の子。気の強い女性二人に責められて、ちょっとかわいそうだとは思ったけれど、コントをみているようで堪えきれず爆笑してしまって、さらにかわいそうな感じにしてしまった。午後はお昼ご飯を食べ終わったあたりで、以前研究室にいて今はカナダで働いている人から電話があった。入れ替わり立ち代わり色んな人が電話にでて、1時間ぐらい経過する。ここで今から教授の運転でビーチにいくけど来る?と言われ、状況がよくわからなかったけれど、二つ返事をし荷物をまとめる。14時半研究室出発。2時間ぐらいのドライブで教授の別荘があるソラナスというところへ。バカンス期間以外は人に貸しているため、今日退去する人たちから鍵を受け取り、軽く掃除するそうだ。サマーハウスをもっているのも優雅だけれど、仕事をはやめに切り上げて私情を優先できるのも優雅。手伝わなくていいといわれたので、お言葉に甘えてコーヒーを飲みつつ絶景を堪能する(Kindleもってくればよかった)。お庭の手入れをするおじさんを眺めたり、ぼおっとしていたらすぐに18時ぐらいになる。一応ビーチも冷やかしにいったが、暑すぎて即座に退散。ビーチパラソルがあるとはいえ、みんなよく辛抱強く日焼けできるなあ。でもここのビーチは周囲の住人しか入れないためか、人も少なく水もびっくりするぐらい青くて暑ささえどうにかなれば最高だろうな、とビーチに縁のなかった自分の人生を少し後悔した。少しだけ。

帰りは道を間違えながら自宅まで送ってもらった。感謝。到着が20時ぐらいだったので、すぐに夕食を作って就寝。今日は翻訳するところからはじめて悪戦苦闘しながらつくったリゾット。初お米。やっぱりイタリアではパスタを食べるべきことが分かりました。

 

8.

今日はみんなの集まりがいつもよりも遅いぞ、と嫌な予感がしていたらどうやらデータ分析のみの日らしい。しかも一人の学部生の卒論用なので、他の二名は欠席。朝から街に出て遊びたかったなー。コンピュータの解説を受けるも、イタリア語しかしゃべれない人が単語単語で説明してくれたから、意図をくみ取るのにめちゃめちゃ苦労した。用務員の人がごみの回収にきたついでに私に「お元気ですか?」という教科書の最初のページに載ってそうな例文をためされたので、自信満々に「元気です!ありがとう。」と答える。するとみんなからwow!とかah!とかyou speak Italian!とか賞賛の言葉をたくさんもらった。赤ちゃんが言葉を覚えるのがはやいのは脳の機能的な面もあるけど、周りの大人たちがやたら褒めてくれるからではないかと思わずにはいられない出来事だった。新しい単語を使うたびに褒めてもらえるって最高やん。単純なので、わたしも3歳児のイタリアンベイビーとして精進しようと決意しております。

夕方からは街に繰り出し、ジェラートを一生懸命消費したあと、八百屋さんが開いていたから野菜を大量に購入する。エコバック二つ分に野菜詰め込んで8€とか何事?っていうぐらい安い。ペペロンチーノ(唐辛子?)が売っているのを見つけて今夜はペペロンチーノにしようと喜び勇んで帰宅すると、試食の時点で全く味がしない事件が発生する…。なんで?仕方なしに投入してみてもやはり絡みのないオイル和えパスタになってしまった。ただし、カリフラワーはとてもおいしい。ジャーマンポテトイタリアバージョンも。ソーセージ硬すぎる!

 

9.

朝いつも通りに到着すると、すでに学部生二人が来ていた。珍しい。今日は着色実験なので、白衣をしっかり留めるように言われる。しかし手袋は一度もしない。手はいいのか。ちなみに、すっかりバカンス気分だったわたしは白衣が必要だということを出発直前にやっと思いだし、慌てて洗いたての(つまり生乾きの)白衣をリュックの中につめこみました。サルデーニャに着いて匂ってみたところ、異臭はしなかったからまあ良しとしている。

実験途中で使用したビー玉がかわいかった。熱湯の中に試験管を入れているのだけれど、これを見ながらラボの人たちはパスタもついでに茹でたいね、というイタリアンジョークを言ってました。

コーヒーブレークでついに教授登場(なぜかいつも派手な色のラコステのポロシャツ。めっちゃ似合う)。しばしイタリア語で研究室の話をした後、奥さんの話になり、二人で訪れた国の話になった。教授はhoneymoonで40日間(!)奥さんとカリブ海→フィジーオセアニア→香港とまわったそうだ。銀食器など、どうせ使わないもの(すでに同棲していて生活雑貨は大抵そろっていたそう)をもらうよりは、ということでwish listを作成して結婚祝いを「フィジーのホテル代」や「航空券」といったように募集したらしい。いいなあ。午後は読書をして、買い出しに行き(通いすぎて八百屋のお兄さんに顔を覚えられてしまった)ラタトゥイユをつくる。大半は冷ましておいしくなったころに食べることに。日差しが強いためか、体が野菜を欲している気がする。

 

 

 

サルデーニャ島 激闘アシアナ航空編

サルデーニャ島(中心街はカリアリ)に研究室配属して来た。夏の記録。

 

 

二日酔いをかかえた身体をひきずって宮交シティから福岡行きのバスに乗る。日本を離れていく余韻に浸る暇もなく、気持ち悪さに支配されひたすら揺れに身をまかせる。ジャパニーズビール・ジャパニーズウィスキー飲みおさめ会とかするんじゃなかった。若干の遅れを伴って、博多駅着。博多に土地勘のある子が一緒だったので、すんなり福岡空港行きの電車に乗り換えることができた。ありがとう!チェックインしたあと、比較的あっさりとした博多ラーメン(高菜のせ)を食べ納めし、諸々の人たちにメールを送って仁川へ。

 

仁川に定刻通り到着。空港の大きさに圧倒される。なかなかTransferカウンターがみつからず苦労した。免税店をしり目に、休めるホテルを目指す。しかし、なんと満杯…。みんな考えることは同じか。しかたなく、仮眠スペースでベットのような寝椅子を確保。交代でシャワーをあびる。ドライヤーや歯磨きセットは係の人がいれば借りれるみたい。タオルは有料。至れり尽くせり仁川空港。数年前に上海の空港で8時間トランジットを硬い空港の椅子の上で過ごしたことを考えると、もう実家のような快適さ。冷房の効きすぎていることと、いびきをかきすぎている人がいたこと以外は、翌朝10時ぐらいまでなかなか快適に休むことができた。スタバでコーヒーをつかみ、搭乗口へ。ここから問題発生する。

 

わたしたちが搭乗ゲートに到着したころには、定刻通りの登場時刻が記載されていた。しかし、搭乗10分前になって2時間DELAYの放送が…。機材遅れが原因らしい。もっとはよ言うてくれ。さらに30分後に3時間遅れの放送がかかり、お食事券を配布しだすスタッフ。怒鳴り散らす一部搭乗客。殺伐とした雰囲気が広がるものの、大部分の人は列に並び粛々とお食事券を受け取る。次のフライトであるローマ→カリアリの飛行機は半ばあきらめモードに突入。とりあえずビビンバを食べ、自分のご機嫌をとる。あとはKindleでロングフライト用の本の選別とダウンロード(塩野七海「イタリアからの手紙」「ルネサンスとは何であったのか」、ロダーリ「猫とともに去りぬ」)をしていたら15時になり、搭乗開始。飛行機にのった後も中国上空の天気がまずかったみたいで、30分ほど待たされる。そして総計、四時間とちょっと遅れで離陸。大遅刻やでアシアナ航空!!

 

ちなみに二回ほど機内食がでて、一回の軽食が提供されたけれど、栄養摂取の域をでませんでした。ドリンクのメニューも普通。しかし、CAさんはみな美人。わたしは飛行機では寝れない人なので11時間半の機内生活では本を読む以外は、グレイテストショーマン、レディバード、ベビードライバーなどを見ていた。

 

結局ローマについたのは、20時47分。長い長い入国審査の列に並ぶ。気を抜いていたら後ろの人に抜かされるので、なるべく前の人との間隔をつめる。近くにいた韓国人が割り込み被害にあったみたいで、さっそく抗議をしていたが、みていた別の人に“It’s Italy!!”とヤジられてみんな笑っていた。そうか、イタリアについたんだ。

 

21時発のカリアリ行きの乗継便はもちろん間に合わない。怒りをぶちまけたいアシアナ航空の窓口もあいていない。陳情にうかがったアリタリア航空の職員さんたちも塩対応。我々に責任はない、払い戻しはできないの一点張り。せやけど!!そこをなんとか!と縋り付いても職員さんはめんどくさそうに首を横に振るのみ。態勢を整えなおさなければ精神がやられそうだったから、空港2連泊をあきらめて二人でホテル泊を決意。きっと人のお金だし(保険保障費)、ヒルトンにでも泊まるかと思ったけれども万一保障が利かない場合を考えてエコノミーなホテルへ。空港出口に控えているタクシーの呼び込みをかわしたり、交渉したりしてさらに体力が削られる。カリアリ遠いよ…。ホテルについたら、受付のお兄さんの元気なウェルカム(「ジャポーネ?!」「暗殺教室めっちゃ好きなんだよ!このYouTubeみて!」「友達でコスプレーヤーやってる人がいるんだけど、この人知らない?」)を受けてありがたかったけれども、一刻もはやく部屋に入りたかった。

 

朝8時にホテルを出発。空港のインフォメーションで憎っくきアシアナ航空の所在地をきいてみたら、夕方にならないと窓口はあかないと言われる。直接交渉がきかないなら、これはもう、間接攻撃に切り替えるしかない。逃げ切れると思うなよアシアナ。東京海上日動(海外保険)に電話し、ホテルと食費はなんとかなるみたいだとわかって安心する。さすがわたしが就活で受けた会社。落とされたけど。アシアナからもメールで遅延証明書も送ってもらえた。空港カフェにて代替の航空券を探し、だらだらする。ちなみにイタリア初カルボナーラもいただきました。

 

とりあえず荷物を預けようとチェックインカウンターに並ぶも、列は一向に進まない。うしろのジェノヴァにいくというアメリカの金持ちマダムが”Their service is a disaster”と愚痴ってきた。確かに、お昼の時間だったからか乗客そっちのけで休憩に行く職員がちらほらいる。窓口の数も圧倒的に少ない。これがイタリアか。それでもしばらくすると、わたしの順番がきて、ようやくチェックインが終わる。

 

早めに搭乗口に行ったら、搭乗口変更のアナウンスが鳴り、嫌な予感がしたが、案の定出発遅れが言い渡される。言葉にならぬ脱力感。ここでも足止めか…。仕方ないので、チョコレート売り場やゲート近くにいるラテン系美女と美男をみつめて癒される。搭乗客を見渡すと、さすがにヨーロッパの高級リゾート地だけなことがあって搭乗する人々は子どもを含め、みな小ぎれいである。バカンスに行く人々独特のふわふわした空気が漂っているので、まあ、一時間半ぐらい待つかとさして悲壮感もなく座っていることができた(乗継便が控えていないからかもしれない)。搭乗アナウンスが流れると、わたしは26歳以下の学生という特別割引組に属しているので、正規搭乗者とは別の列に並ばされた。同じ列に並ぶほどんどの人はサルデーニャ在住者特別割引を使っていたので、この明らかにサルデーニャ人でないアジア女はなぜここにまぎれているのだ、と不思議そうな目を向けられてしまった。しかし、めげずに我らが大学の在学証明書を握りしめ、並び続ける。ふと列が止まったかと思うと、一人のイタリア人紳士が大仰に天を仰いで、イタリア人サッカー選手が審判に抗議するあの勢いで猛然とごねだした。ものすごい身振り手振り。搭乗ゲートや後ろの柵や近くにいた人にまで同意を求め、とりあえず騒ぎに騒ぐ。整備員の人も搭乗ゲートの係員に加担して、彼を追い出そうとするが、彼は抗議を続ける。そもそもチェックイン時に特別割引が使えるか、職員がちゃんとチェックしとけばいいのにと思わないでもない。そこは自己責任なのか。わが身にも同じ災難が降りかからないか、とどきどきしながら証明書を見せたら、あっさりとOKがでる。よかった。

 

機体に乗り込んで、隣に座っている紳士の座席からはみ出る肉に気をとられていると、なにやら機長室から声が。ドアが開いて、iPadを手にもっている大学生ぐらいの女の子がでてくる。どうやら知りあいみたいで、機長室からの風景を写真におさめていたらしい。さらに「副操縦席に乗っていってもいい?」「乗せていいんじゃない?」と女の子と機長がチーフCAさんに尋ねていたが、断られていた。そりゃそうだ。自由すぎか。ゆるふわムードが漂う中、先ほど大騒ぎしていた男性がにこやかに談笑しながら別のCAさんに誘導されて席に座る。切り替えはやすぎ。無事(?)一時間半遅れでローマを飛び立ち、カリアリに到着した。

 

カリアリはバカンス地らしく、日差しが強い。タクシーを捕まえて宿のある地域へ。ここは田舎度から言うと、スーパーやコインランドリーや小さな居酒屋はあるが、これといった洗練された場所のない、私の住んでるアパートの近所みたいなところである。妙な親近感が芽生える。オーナーのお父さんと娘さんが迎えてくれ、互いにつたない英語で自己紹介を果たす。通されたところは想像以上に綺麗な部屋で、女子ですもの、テンションがぶち上がる。しかし、ベッドがダブル…。「あの、ツインで頼んだはずなんですが…」と言ったら、「あ、やっぱりダブルはだめだったよね」と言って変えてくれることに。はじめからそうしてくれ。父娘が近所を案内してくれた後、お惣菜を買って食べてカリアリ初夜を終える。明日は研究室だ。